訃報

2021年10月21日朝、東京コメッツ創設メンバーで、元会⾧の吉田亘孝さんが千葉の療養先でお亡くなりになりました。昭和8年生まれの87歳でした。

吉田亘孝さんは、1974年に東京コメッツを作られた33名の創立メンバーの一人で、1974年から2008年(70歳)まで現役としてプレーされました。1100打席の打撃機会はコメッツ歴代18位の成績です。

46歳の時に.395で首位打者を獲得。

1985年より3年間と2000年より3年間事務局⾧を歴任。

2003年から2013年は会⾧職としてコメッツに尽力されました。

過去にあったコメッツ分裂の危機もリーダーシップを発揮して乗り越え、新人勧誘には独自の理論を展開して当たっておられました。

最後までコメッツを愛し、会報が届くのを楽しみにしていたと聞いております。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

令和3年10月23日 東京コメッツ事務局⾧ 大畠敏祐

31吉田亘孝

ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、故人のご功績を偲び心からご冥福をお祈り申し上げます。(7星野一美)

吉田会長のご冥福をお祈りいたします。
入会時の新人説明をして頂いたのが出会いでした。沢山の資料を用いて、コメッツの歴史、精神、方針、仕組み、等を熱く熱くかたってくれました。
吉田会長からお聞きしたお話で、1番印象に残っているのは、俺が生きている間コメッツが残ってくれれば良いと思っているのでは無い。俺が死んだ後、100年200年いや500年先もコメッツは、残り続けて欲しいし、また、そのシステムは作ってある。皆で頑張ってほしい。と、言う言葉でした。現メンバーで、その意志を次のコメッツ戦士に引き継げるよう、これからも楽しいコメッツを皆で守って行きたいと思っています。
お前、野球好きだな、おい!それぐらい仕事しろ!笑いながら嬉しそうに言っていた口の悪い元気で凄いコメッツ愛の吉田会長。天国からコメッツを見守ってください。さようなら。(88久保田豊男)

突然の訃報で驚いています。
コメッツに入った年に吉田会長とキャッチボールをさせて頂く機会があり、伸びのあるボールを投げていらっしゃた事を今でも思い出します。
ご冥福をお祈りいたします。(73野坂英明)

[清濁併せ呑む] 吉田会長が酒席の場で良くおっしゃっていました。
コメッツ精神の、野球好き全てを受け入れて、楽しくプレーする真髄を常に願っていたと記憶しています。入団時50代の私を、厳しくも優しく、色々と勉強させていただきました。これからも世代交代を繰り返し、コメッツが継続されることを見守っていて下さい。
心よりご冥福をお祈りいたします。(14関敬一)